日野神明キリスト教会

エノクは六十五歳になったとき、メトシャラをもうけた。

                       (創世記 5:21

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立川バプテスト教会日野神明伝道所

 

今日は「父の日」です。家族伝道を覚える私たちにとっては、大切な一日です。与えられた創世記のみ言葉から聞かせていただく言葉は「エノクは神と共に歩み」との言葉です。
 私たちがどのように日々を生きているか、問われています。私たちの周りで何が起こっているか、この激しい今日の世界の動きの中で、神は私たちをどのように生かそうとしておられるのか。与えられた一人の人物を通して聞かせていただこうと思っているのです。
 エノクという人物、アダムから3代目です。彼は「神と共に歩む」と記された人物で、確かにその詳細については記されていません。しかし、いまひとつわかることは、「神が取られたのでいなくなった」ということです。神に生かされてきた人びとについて、「彼らはそれぞれ何年生き、そして死んだ」と記録されています。エノクは違います。それこそが私たちがしっかり聞かなければならないことです。
 神と共に歩む、と称されるとき、それはすべて神に罪赦され清められて、神にしっかりと従って歩む、喜びに満ちあふれた人を心に留めます。今日私たちは十字架のイエスによって罪赦され、復活の主と共に生かされている人にほかなりません。常に神のみ言葉に耳を傾け、その導きのままに万事を行うことです。神がこの世を救うために御子イエスを賜った、神は自分のすべてを私たちのために与えてくださったことをしっかり旨とすることです。絶えず人の救いのために行動することこそ、私たちは心に留めさせていただかねばならないのです。「イエスは神が共におられるのでよい働きをしながら、また悪魔に押し付けられている人々をいやしながら、巡回されました」(使徒10:17)とあるように、神と共に歩むものは、常に神のみ栄と魂の救いのために、生き、苦しみ、働くものでなくてはならないのです。
 そのエノクから「メトシェラが生まれた」とあります。父エノクがどのように生きてきたか、メトシェラはしっかりと見てきた人物です。彼の履歴はしっかりとエノクに続く人物としてここに記されています。しかも死んだのではありません。「神にとられた」エノクを見ているのです。彼がしっかり神と共に歩んだ道を見ていました。そしてメトシェラも神に祝福されて生涯を全うしたのです。私たちは、しっかり父が歩んだ足跡をたどりたいものだと思っています。どのようにメトシェラが父エノクを見ていたか。しっかり心に留めさせていただくのです。
 パウロがエフェソの信徒への手紙で書きました「キリストに仕えるように」生きることこそ、今日聞かせていただきたいです。私はその者をしっかりと、神は「引き取ってくださる」と信じています。

2018/6/17