日野神明キリスト教会

息子らは立って彼女を幸いな人と呼び/夫は彼女をたたえて言う。

                        (箴言 31:28

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立川バプテスト教会日野神明伝道所

 「母の日」を覚えさせていただくことは、「父の日」を覚えさせていただくことと共に、私は人として大事なことだと思っています。最近はジェンダーが問題視されることで、その取扱いが話題になってていますが、私はその差異はしっかりと受け止めなければならない大事なことだと思っています。神さまはそれぞれに大切な役目を与えられ、尊いものとされました。
 神さまは、創造された一つ一つに大切な務めを与えておいでになるということを私たち忘れてはならないと思っています。家族の関係もまたそうです。母親が与えられたことを、私は大切にしなければならないと示されています。同じように私は父親のことも忘れさせていただくことはできません。本当に私たちが忘れてはならない大切なことは、まずそれを受け入れることから始まるのです。
 そして聖書は、母親の大切な働きを語ってくれます。私はサムエルの母ハンナにそのことを聞かせていただくのでした。神さまが彼女の祈りを聞きサムエルを与えて下さったとき、彼女は祈りました。「私はこの子を主にゆだねます。この子は生涯主にゆだねられた者です」(サムエル上1:28) と祈り、その祈りの言葉が二章にあります。私はこの祈りはハンナだけの祈りではなく、世のすべての母親が、子が与えられたときの喜びの思いを伝えられる祈りだと聞かせていただいています。そのような思いでの子育てを、私はしっかりと心に留めさせていただいておかねばならないことだと聞かせていただくのです。
 この箴言の言葉は実に、私たちに驚くべきことを語ってくれます。ソロモン「口を開いて知恵の言葉を語り、慈しみの教えをその舌にのせる。一族の様子によく目を配り/怠惰のパンを食べることはない」と言います。私たちは今日、いかに子どもを豊かに育てることに心を砕いておられる母親が多いかを知っています。しかし、いかに私たちが心を尽くしても、私たちの思いにかなわないこともあります。ソロモンは品性においても、歴史上の人物の中でも立派でしたが、「若者を歩むべき道の初めに教育せよ。年老いてもそこからそれることはないであろう」(箴言22:6)との言葉が徒労に終わり、その晩年はその母の教えを離れました。
 ソロモンの母の思い、サムエルの母の思いを私は思いださせていただいています。ハンナの祈りを聞いていただきました。ソロモンの母については「主を畏れる女こそ、たたえられる」(箴言31:30) の言葉で聞かせていただいています。そこで私が聞かせていただく大切なものがあります。それは母親に限るものではないのでしょう。神に生きるすべてのものに対するもので、「主を畏れることは知識の初めである」(箴言1:7)との言葉です。

2018/5/13