日野神明キリスト教会

あなた方は、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。コロサイ3:1

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立川バプテスト教会日野神明伝道所

 

 

「あなた方は、キリスト共に復活させられたのです」との言葉をどれほどしっかり受け止めておられますか。キリスト復活の出来事は、私にとって何よりもうれしい喜ばしい出来事ですが、それだけではなく、私もともにその復活にあずかっているのだといわれることです。復活祭イースターはキリスト・イエスが週の初めの日の朝、イエスの遺体を清めるために、急いで墓を訪れた女たちにみ使いが「主イエスはここにはおられない」と告げられたとおりに、イエスはよみがえられました。本当にうれしい喜びの日です。
 この年のイースターの朝は,その意味では本当に思い出に残る4月1日の朝です新しい年の初めを、復活の主イエスが,共に歩み始めて下さるとの喜びもさることながら,新しいいのちの朝を迎えさせていただく喜びをこそ、覚えさせていただき感謝させていただくのでした。
 あわただしく十字架から取り下ろして、墓に葬ったイエスの遺体を清めたいと婦人たちが、墓を訪れましたが、イエスはそこにおられず、「ガリラヤで待っている」との伝言を弟子たちに伝えるようにと言われました。その時の光景をマルコの福音書は「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」(マルコ16:8)と記していますが、マタイの福音書は「婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるため走って行った」(マタイ28:8)と記しています。その違いに驚かせていただきながら、福音書記者の読者への思いを聞き取らせていただくことでした。マルコの福音書記者は、絶えずイエスの出来事に驚きをもって接する人々が、しっかりそれを受け止めることを通して、主の福音の恵みに導かれていった姿に伝えてくれてきた姿勢に心に留めさせていただくのでした。
 イエスの復活の出来事は、私たちの中では最高に驚くべき出来事です。確かにイエスは、墓に葬られたラザロをよみがえらされました。弟子たちはイエスの力ある業を称賛しました。しかしそこで彼らが、神さまのみ心を知ることはありませんでした。神さまはすべての出来事を通して、そのみ心を、愛しておられることを、帰ってくることを願い、待っておいででした。その思いの極みの発露が、御子イエスの十字架の贖いの死でした。信じて受け入れる私たちに、主なる神さまはそれで終わりではないといわれます。ヨハネは「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか」(ヨハネ一5:4-5)と言います。復活のイエスのいのちは私たちのものです。恐れることなく、しっかりイエスにつながって、永遠のいのちにいたる道を歩むのです。

 



2018/4/1