日野神明キリスト教会

生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、御言葉の乳を切に求めなさい。これによって成長し、救われるようになるためです。   (ペテロの手紙一2:2

本文へジャンプ

立川バプテスト教会日野神明伝道所

 

 私はNHKの「ダーウィンが来た」という番組で、動物の子どもたちが、猛獣から小さな動物までそれぞれに、しかもしっかり母親の乳房を求めて成長していくその姿を見ながら、人間もまた同じ。魂もまた同じだとみ言葉に聞かせていただくのでした。
 食欲の、あるなしは、私たちの体の健康状態に大変に影響があることはご存じでしょう。そのために私たちは、大変な気遣いをしているのではありませんか。同じような気遣いを、私たちは、魂のために、霊性のためにどれほどのことをしているでしょうか。
 キリストの弟子ペテロは、皇帝ネロの大迫害が近づいて来て、クリスチャンがクリスチャンとして生きることが非常に困難になって来たことを知り、彼らを励まし、力づけ、イエスがもう一度お出でになるという、彼らの希望を思い起こさせ、その信仰を堅く生きるようにと、この手紙を書きました。
 まだ見たことがないキリストがお出でになることを待つのは、すでに主を愛し、主を信じ、言い表せない喜びをもって喜んでいるからでした。どのように主からのみ言葉を受けても、それを十分に理解することはできませんでしたが聖霊の力は、キリストの十字架の福音を通して、それを啓示して下さいましたペテロは、私たちは新しく生まれた者だから、「生まれたばかりの乳飲み子のように」純粋なみ言葉の乳、すなわち、聖書を読まなければならない。これによってクリスチャンは成長するのである、といいます。
 まず、今までの思いと言葉のすべて (ペテロ一2:1)を、捨てなければなりません。「霊の乳」であるみ言葉を吸収しなければなりません。新生した者の心の底にこれらの不義が残っておれば、それは成長の妨げになります。私は「ダーウィンが来た」の中で人間とは違って数匹の赤ちゃんが、先を争って母親の乳房を求める姿に、生きる力の源を見させていただくのでした。その必死さが伝わってくるのでした。私たちはどのように「み言葉の乳を切に求めて」いるのでしょうか。私はふと。パウロの説教を聞いて帰ったベレヤの人たちがした行動を(使徒17:11)思い出しました。み言葉はあなたを元気にし、成長させていますか。食事の仕方が間違っていませんか。



2017/11/26