日野神明キリスト教会

イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。」  (ヨハネ8:31)

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立川バプテスト教会日野神明伝道所

 私たち信仰者の最も大切なことは、どこに足を置いて立っているかと言うことでしょう。それは言うまでもなく、しっかり十字架の主イエスを見つめているかと言うことだと思っています。神は御子イエスを私たちの罪の贖いのためにこの世に送ってくださいました。「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)と信じています。私はあのヨブが私たちの想像をはるかに超える試練に苦悩しながら、それでも神に対して無垢であることを貫いた信仰の人としての彼に(ヨブ1:1-2:19)、倣うことなどとうてい出来ていない者ですが、けれども私たちは罪の人である自分を、しっかりと受け止めさせていただいている者です。
 神はそのような私を、「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」(ヨハネ1:12)と言われました。私たちを心からの喜びにあふれさせてくれるものは、しっかりと神に愛されている自分を知るときではないでしょうか。「ヨハネ3の16」が判るときです。ムーディが有名な伝道者になる前の若いころ、ヘンリー・ムーアハウスがヨハネ伝3章16節を一週間にわたって説くのを聞きました。その結果ムーディは、神の愛の偉大さについて本当に理解したと言います。「その時まで私は、神がそれほどまでに私たちを愛してくださっていることを知りませんでした。心が砕けて私は涙を抑えることが出来ませんでした。私は非常に感動しました。この世の中で何よりも優れているものは、たしかに愛なのです」と言います。
 その時私たちは、生きるべき道を確信するのです。主イエスに歩むことをおいて他に、永遠の命にあずかる道はないと言うことです。イエスは「あなた方に新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなた方がわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」(ヨハネ14:34,35)と言われました。ヨハネは「イエスは、わたしたちのために命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです」(ヨハネ一3:16)と言います。しっかりイエスのみ言葉にとどまって生活をするとき、私たちはみんなからクリスチャンと呼ばれます。



2017/10/08