日野神明キリスト教会
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あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。                                      (詩篇 84:11)


立川バプテスト教会日野神明伝道所

 

 

 何事が起ころうとも、安心して日を過ごすことができる秘訣を、私たちは心得ています。旧約の詩人は「いかに幸いなことでしょう。あなたの家に住むことができるなら、まして、あなたを賛美することができるなら。」(84:1)と歌いました。私たちの安心と、平安は、神のうちにあることを知っています。何事が起ころうとも主の愛が満ちあふれているからです。
 主の神殿で礼拝を持った詩人が、ご臨在なさる「生ける神」とお会いしたことは、何ものにもまさる喜びであり、力となりました。天地万物の主である方が、ご臨在なさる庭に立たせていただいた喜びを、彼は忘れることができませんでした。そこには、私たちへの教会礼拝への大切なメッセージを聞かせていただくのです。
 この世の忙しい人生の流れから外れて、静かに黙想し、祈ることができる幸いを知っている者の平安を、「雀さえも、つばめも、住みかを見つけました。ひなを入れる巣、あなたの祭壇は(わたしの宿です)」(84:4)と歌いました。きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人は、ただ神においてのみ憩うことができるのです。私たちはその幸せを味わわさせていただいています。
 「嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。雨も降り祝福で覆ってくれるでしょう」(84:7)と言う。信仰の旅路がどのような困難に遭遇することがあろうとも、そのつど神は力を与えてくださる。歩み続けても疲れることなく、常に力に満ちて進むことができます。ほんとうに主に依り頼み、聖徒たちの群れに加えられて、私たちが歩む広い道は、かわいた荒れた谷も、泉の水で満たされて、美しい緑地となる。心が神とともに正しくあるなら、砂漠は宮となり、涙はほほえみに変えられるのです。
 私たちの幸いの確かさは、神の家にある幸いです。どんな生き方をするよりも、神の家に関わりのある「生ける神」との関わりを願います。それこそが幸いなのです。「まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりはむしろ神の宮の門口に立ちたいのです。」(8:11)と言うことです。実に私たちの信仰の確かさを、神とともにある、その平安にみさせていただくのです。「なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。」(84:5) 私のたましいは、【主】の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。」(84:3)と叫ぶのです。



2017/9/10