日野神明キリスト教会
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あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
              (コロサイ3:12)


立川バプテスト教会日野神明伝道所

 

 キリストと共に新しいいのちに新生された私たちの人生は一変しました。ウエストミンスター小教理問答の第一問は「人の主な目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです」とあります。クリスチャンは過ぎ去ってゆく地上の事柄には心は奪われない。天におられる栄光のキリストのお姿を見つめつつ 「上にあるもの」だけに関心を持つようになる、とパウロは私たちに語ります。
 しかしそれは、この世的なものとの一切の訣別という意味ではありません、それ以上にパウロは、この世のあらゆる関係を正しく持ち続けることができるようにと願っていました。確かに、私たちに最も大切なことは「あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい」(3:1)ということです。そして「あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れる」(3:4)ことです。
 そこには、古い自己に死んで、キリストにあって生きる新しい私がいるのです。そのことを私たちが自覚できるのは、私たちの生きているその生活が変わったときです。パウロは「怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。互いにうそをついてはなりません」(3:8-9)と言いましたが、キリストにあって生きるとき、それが起こるのです。今日までどれほど多くのクリスチャンの先輩たちが、その喜びの体験を語ってくれたことでしょうか。私たちもその仲間に加えられたいです。
 そう願う私たちにパウロは、「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。」と勧めました。私は、キリストと共に新生させていただいた私たちには、それができると信じています。今日は、本当に生きることが大変な時代です。「生き馬の目を抜く」という言葉が生きているこの時代に、み言葉を生きるということが、いかに難しいことかを承知しています。けれども私たちには強力な助け手がいることを忘れてはいけないのです。主イエス・キリスト様が一緒だと言うことです。「キリストにあって」とはそういうことです。知っている、信じていると言いながら、自身で行動をする愚かを、どれほど繰り返していることだろうか、考えてみて下さい。もっと主イエス様を信じることです。そしてみ言葉を生きるなら、これはかないます。



2017/9/03