日野神明キリスト教会

わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さるであろう。                 (フィリピ 4:19

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立川バプテスト教会日野神明伝道所

 私たちの確信は、主はいつも共にいてくださる、ということです。またイエスは「あなた方の父なる神は、求めない先から、あなた方に必要なものはご存じなのである」(マタイ6:8)と言われました。私たちはほんとうにその恵みを、喜んで受けとめる者でしょうか。まだ恵みは足りないと、言いつのっている私はいないでしょうか。
 パウロがフィリピの教会の信徒へあてたこの手紙で、伝えたかったことが何かを、私は今も考えています。この手紙は、フィリピ教会の人たちのパウロを支える感謝の手紙ですが、そこで私たちは、みんなが「主にあって」一つの心で、主のために働いてほしい、というパウロの思いに気づかさせられるのです。主イエスが十字架におかかりになったのは、そのためではなかったのですか。
 パウロが獄中にあっても感謝を忘れず、そのことを喜びとして語るそこにあったものは、主キリストの十字架の思いでした。私たちがしっかりその事を受け止めなければならないのです。だから教会はどのようなことがあっても一つでなければならないと言うのです。パウロは「私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。」(フィリピ2:2-4)と言いました。
 最初の教会が祝されて、多くの人たちが仲間に加えられたの、どうしてであったか覚えていますか。アンテオケの教会の仲間が、町の人たちからクリスチャンと呼ばれた理由をご存じですか。「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」(使徒2:42-47)とみ言葉にあります。すべてを豊かに満ちあふれさせて下さるお方によって、満たされた恵みが溢れ出て、仲間が加えられていくのです。それが祝された教会の歩みだと理解しています。



2017/7/30