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立川バプテスト教会日野神明伝道所

そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである。

                    ローマ5:11

「わたしたちは、今や和解を得させてくださったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである」というパウロの言葉をしっかりと心に留めさせていただきます。これが福音なのです。このロマの信徒への手紙を通して、彼が語る「福音」をしっかりと聞き取らせていただくのです。
 ご存じのようにこの手紙は、キリスト教の教理についてパウロが理論的に体系的に書き記したもので、私たちの信仰の中身をしっかりと確認させていただくのに、大変重宝させていただいています。私たちは何をそこで確認させていただいていますか。徹底してこの私は罪人であると知らされます。「正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない」(2:10-11)とパウロが言います。
 よく聞かせていただく言葉ですが、キリスト教をこころよく受け入れることができないのは、人を罪人扱いするところだ、と言われることです。確かに人間誰しも、後ろ指をさされないまでも、聖人君子だと思っている人はいないでしょう。しかしキリスト教はそれを越えていると言われることです。それでも私たちは「正しい人はいない。一人もいない」と公言させていただきます。
 その私を神は愛して下さる。この神の愛をしっかりと受け止める者でありたいと願っています。パウロは徹底して私たちに、「わたしたちは信仰に基づいて義とされ、わたしたちの主イエス・キリストを通して、神に対して平和を得ている。このイエス・キリストを通して、わたしたちは、その信仰によって恵みの中に入ることができました」(5:1-2)と告げます。「憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、-あなたが救われたのは恵みによるのです。」(エフェソ2:4-5)と宣言ます。わたしたちの救いはイエス・キリストのあることをしっかりと心に留めさせていただくのです。主イエス・キリストの十字架の出来事、「福音」をしっかりと聞きとらせていただく時、本当に私たちは神の慈しみを喜びたたえさせていただくのです。主なる神はいつも私たちと共においでです。
 「我々は日常の生活に神を取り入れ、活かしていかなければならい」とある人がいった。すると他のひとが声をはりあげていった。「神はすでに、そこにおられます。私たちがまずしなければならないことは、それに気づくこです」と。「私たちが主の臨在を認めなくても、あるいは気づかなくても主は常に近くおられる。私たちはそれを祈りの時に確かめさせていただくのです。『主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに、主は近くおられる』(詩145:18)ということばを何回も口にすることは、神がそばにおられることを認めて、それにふさわしい生活をするようになる、とF・B・マイヤーは私たちに教えてくれました。

2018/7/22

                  

 
日野神明キリスト教会