日野神明キリスト教会

わたしは福音を恥としない福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。

                       (ローマ 1:16

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立川バプテスト教会日野神明伝道所

 

神学校週間です。今日、時代はキリストの福音がしっかりと伝えられなければならない、本当に大切な時です。それを伝える伝道者がしっかりと養われることを私たちは祈り、支えることは、私たちの務めです。
 西南学院大学神学部部報で、何を私たちが祈るべきかを教えていただきました。今日の時代の中で教会は何を目指して働くのか。神はイエスを通して何を私たちに下さったか、私たちは本当に神さまが下さった素晴らしい贈り物を、しっかり受け止めることができているか、を教会が聞き取りることができるよう、その手伝いをする人物を神学校は育てる、という素晴らしい言葉を聞かせていただき感謝でした。
 金丸教授はカルペッパー教授の言葉「神学校は『良い立派な牧師』を作るところではありません。『自分の神学』を作るところです。」を紹介してくれました。しっかりみ言葉と向きあい、神が何をキリスト・イエスを通して私たちに賜ったか。神学校は一人一人と向きあい、そのありようを育成する。その神学校を私たちはしっかり支援をさせていただくのです。
 パウロはその大切な神学の種を、この「ローマの信徒への手紙」で分けてくれます。しっかりそれを聞かせていただくことです。パウロは神が彼に何をしてくださったか。イエス・キリストとはどのようなお方であるか、語ってくれます。「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです」(1:16)と言いました。
 パウロにとってこの「福音」こそが彼のすべてでした。そのパウロの思いをどれほどしっかり受け止めることができるか。それは私たちの信仰のすべてを左右するものだとも私は思っています。「福音」はその言葉の通り「良い知らせ」です。何の変哲もありませんが、新約聖書の中にあっては、ただ「良い知らせ」ではすみません。イエス・キリストが宣べ伝えられた神の国が「良い知らせ」です。この語がキリスト教の中で中心的な位置を占めるのは、何よりもパウロが、しっかりこの言葉を確保してきたからにほかなりません。
「福音」は「神の福音」(マルコ1:24、テサロニケ一2;2)とも呼ばれました。この言葉は人々が夢にも思わなかったような神の姿、愛のみ心を持つ神について語りました。神が送ってくださった良い知らせです。その背後には神がおられます。神はその独り子を賜ったほどに、この世を愛してくださった(ヨハネ3:16)。「良い知らせ」は「神のもの、神から来たもの」なのです。世界の造られたすべてのものへの知らせです。
 この良い知らせは、イエス・キリストの十字架と復活をおいて他に見出すことはできません。世の多くの人々からは受けとめられがたい事実でしょうが、すべての造られたもの救いはここ以外に見出すことはできないのです。

2018/6/24