日野神明キリスト教会

「恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。一度は死んだか、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。」

                       (ヨハネ黙示録1:17-18

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立川バプテスト教会日野神明伝道所

 

 イエスに愛された弟子ヨハネは、ドミテリアヌス皇帝の末期、迫害の嵐の中でパトモス島に流されました。彼は復活の主イエスから特別な啓示をうけました。「ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分の見たすべてのことを証し」(黙示1:2) しました。ヨハネ福音書の最後に、「これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、信じて、イエスの名によって命を得るためである」(ヨハネ20:31)と書きました。イエス・キリストは私たちのいのちの主です。私たちは、そこにすべてを置いて、いのちを懸けて生きている一人一人です。
 尊敬する内村鑑三先生が「神に捧げよ」と題して書かれた文章の一節に、「乱れしそのまま、病みしそのまま、汚れしそのまま、今これを神に献げよ、そこで神をして、その大能を以て汝に代りて整理、治療、救済の任に当らしめよ」との言葉があります。神さまにすべて働いていただけと言われているのだと聞きました。
 私たちは主イエスが「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(マタイ28: 20) と言われた言葉を、しっかりと受け留めています。神さまは、私たちの罪の贖いのために十字架にかかられたイエスを、陰府の世界からよみがえらされ、約束の聖霊を賜りました。おゆだねしてあまりあります。 
 ヨハネは「ある主の日のこと、わたしは”霊”に満たされていたが、後ろの方でラッパののように響く大声を聞いた」と言います。そして主の声を聞き、振り向くと「七つの金の燭台が見え、燭台の中央には人のような方がおり、足まで届く衣を着て、胸には金の帯を締めておられた」方を見ました。「わたしはその方を見ると、その足もとに倒れて、死んだようになった」と言います。ヨハネは霊に満ち溢れたお方を見たのです。これこそ語らねばならない、神さまから与えられた言葉でした。
 このお方はヨハネに「恐れるな、わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。一度は死んだか、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている」と言われました。ヨハネは、このお方から与えられた言葉を私たちに伝えました。私たちはその言葉をどのように聞き取ってきたのでしょうか。そのことが今の私たちが生きている一つ一つの姿に映し出されているのです。これが私たちがしっかりと心得なければならない大事であると聞かせていただきます。初めからおられ、終わりまでおられるお方から聞いてきた言葉、主イエス・キリストの福音に生きるとき、この世界を覆っていた暗闇は拭いさられ、輝きに満ちた世界が広がります。今日のこの混迷した時代に生きる私たちが、切望しているものです。この喜びをこそ私たちはしっかりと伝えなければ、生かされている意味はありません。

2018/5/27