日野神明キリスト教会

人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。(ペテロ一 2:19

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立川バプテスト教会日野神明伝道所

 

 イエスは、「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」(マタイ5:11-12) と言われました。クリスチャンの苦悩を、私たちは苦悩と思ったことはありません。イエスが山上の説教で語り始められた「至福の教え」の中で言われた言葉です。私は感謝して、このイエスの言葉に聞かせていただいています。
 この受難節の間、もう一度イエスの出来事を心に留めさせていただいています。イエスが愛されたペトロが、「キリストは肉に苦しみをお受けになったのですから、あなた方も同じ心構えで武装しなさい。肉に苦しみを受けた者は、罪とのかかわりを絶った者です。それは、もはや人間の欲望にではなく神の御心に従って、肉における残りの生涯を生きるようになるためです」(ペトロ一4:1-2)と言った言葉は、私にとって本当に力をいただく言葉です。ペトロが言う「あなた方も同じ心構えで」それは、どのようにイエスが人々と生きてこられたかを思い起こさせてくれる言葉です。イエスはなかなか理解してもらえず、苦しめられ続けてこられました。それでもイエスは彼らをしっかり受け止められ、愛し続けておいでになりました。そしてイエスは、「互いに愛し合いなさい。わたしがあなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)と言われたのです。これは、イエスの十字架の死にまで続くのでした。
 イエスが捕らえられたとき、「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」(マルコ14:50)のでした。勿論ペトロもそうです。ペトロは、「たとえご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(マルコ14:31)と言いましたが、イエスが予告されたとおり「鶏が二度鳴く前に、三度」イエスを知らないと言いました。彼はそのことを思い出して激しく泣きました。そのペトロが、私たちに語る言葉です。私はしっかりと聞かせていただくのです。一度はイエスを否んだペトロでしたが、イエスはその彼をしっかりと受け止めてくださいました。神さまの計り知れないご愛を知るとき、自ずから歩むべき道は導かれてくるのではありませんか。
 キリストの十字架の血潮によって贖われた私たちは、主の御心に従って生きるものとされました。イエスは言われます。「あなたがたは幸いです。喜びなさい。大いに喜びなさい」と。

 



2018/3/18