日野神明キリスト教会

イスラエルはエジプトを/ヤコブの家は異なる言葉の民のもとを去り、ユダは神の聖なるもの/イスラエルは神が治められるものとなった。(詩篇 114:1-2

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立川バプテスト教会日野神明伝道所

 

 イスラエルの民がいつも心に留めさせられていること、それは神が彼らの導き手であり、守りの主であるということでした。申命記5章でイスラエルの民にモーセを通して命じられるこの言葉は、ことあるごとに彼らが思い起こさせていただいた言葉でした。それは徹底してイスラエルの民の心に、とどまり続けてきた主のことばでした。「モーセは、全イスラエルを呼び集めて言った。イスラエルよ、聞け。今日、わたしは掟と法を語り聞かせる。あなたたちはこれを学び、忠実に守りなさい。我々の神、主は、ホレブで我々と契約を結ばれた。主はこの契約を我々の先祖と結ばれたのではなく、今ここに生きている我々すべてと結ばれた。主は山で、火の中からあなたたちと顔と顔を合わせて語られた。わたしはそのとき、主とあなたたちの間に立って主の言葉を告げた。あなたたちが火を恐れて山に登らなかったからである。主は言われた。『わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である』」(申命記5:1-5)と。
 私は、モーセからはるかに隔てられた時代に生きる私たちですが、この言葉は今も生きていると思っています。彼らはことあるごとに、この出来事を思い起こすことを求められてきました。そして私たちにもそれが求められていると思っています。それほどに大事な出来事なのです。イスラエルの民にとって今日があるのは、あのモーセが神に聞き、立てられたときにさかのぼることが、民族の原点でした。
 それを無にしたイスラエルの民は、それから40年、荒野での生活を強いられることになりました。それでも神さまはそれを守り通してきて下さいました。たとえ不実であっても顧みてきて下さいました。そして御子イエスを送られることを通してその実を貫き通されました。あの不遇の地エジプトからイスラエルを導き出して下さった神は、同様に私たちの罪を贖われ、新しいいのちに生まれ変わらされたキリスト・イエスの十字架の出来事を通して、罪の奴隷であった私たちを、神さまはイエスの十字架の贖いによって救いへと入れて下さいました。その神さまの慈しみはしっかりと私たちに伝えられてきました。
 「み言葉に聞く」とはこのことではありませんか。神さまは約束を、確実に一つ一つ成し遂げていて下さいます。私たちはどのようにそれに応えて、その信仰を確かなものとしてきたのでしょうか。イエスの言葉に、その行為にそれは見えています。イエスの十字架がそれを語っていてくれませんか。私はしっかり伝えたよと言っておられます。

 



2018/3/04