日野神明キリスト教会

狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。(マタイ7:13-14

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立川バプテスト教会日野神明伝道所

 

世界中だれ一人として、自分のいのちを大切にしない人はいません。イスラエルの民はみ言葉をしっかり聞きとって、いのちに至る道を歩みました。モーセは急速に近づいてきた生涯の終わりを知るとき、彼は心を込めて最後の訴えを民にしました。それは一度ならす民に語ってきた言葉でした。「わたしがあなたの前に置いた祝福と呪い、これらのことがすべてあなたに臨み、あなたが、あなたの神、主によって追いやられたすべての国々で、それを思い起こし、あなたの神、主のもとに立ち帰り、わたしが今日命じるとおり、あなたの子らと共に、心を尽くし、魂を尽くして御声に聞き従うならば、あなたの神、主はあなたの運命を回復し、あなたを憐れみ、あなたの神、主が追い散らされたすべての民の中から再び集めてくださる」(申命記30:2-3)と。
 私たちもしっかりと聞かせていただいてきたみ言葉です。モーセが「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。」(申命記6:4-9)と語った言葉を、私たちはしっかりと心に留めさせていただいています。彼らがどのようにして永遠のいのちをいただく道を会得してきたかは、明らかでしょう。しかし彼らがそれをしっかりと取得することは適いませんでした。神さまが与えられたみ言葉を、神さまの思いを、彼らは理解することがありませんでした。
 「永遠のいのちを得るためには何をすべきですか」と尋ねてきた男に、イエスは「主の戒めを守ること」と言われました。すると男は、「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と答えました。その彼を見つめてイエスは、「あなたに欠けているものが一つある」と言われたのです(マルコ10:17-27)。本当に大切なものを私たちは見失っていると言われることです。それは何ですか。私たちは一番大切なものを忘れてはいませんか。聖書の一番冒頭の言葉を思い起こして下さいませんか。ヨハネは「あの方はわたしたちのために命を捨てて下さいました。それによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちもきょうだいのために命を捨てるべきです」(ヨハネ一3:16)と言うのです。私たちが生きる道を、私はここに聞かせていただいています。パウロは「それゆえに、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大切なものは愛である」(コリント一13:13)と言いました。この辺にいのちに至る道が見出されませんか。

 



2018/2/18