日野神明キリスト教会

エリヤはすべての民に近づいて言った。「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら、主に従え。もしバアルが神であるなら、バアルに従え。」民はひと言も答えなかった。      (列王記上 18:21)

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立川バプテスト教会日野神明伝道所

 このエリヤのことばに「民はひと言も答えなかった」とあります。神の慈しみの中にある自分たちを知っているイスラエルの民が、エリヤの言葉に即答できなかった。そこには人間の利害関係の中で、自分の位置を考える愚かしさを見せつけられることでした。私たちはどれほどしっかり神と結びついた日常を生きているかを思い知らされることのほかの何ものでもありません。
 ペトロとヨハネが、キリストの名を語ることを禁じられて、議会に呼び出されて尋問されたとき、「しかし、ペトロとヨハネは答えた。『神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。』」(使徒4:19-20)と答えました。彼らがどれほどイエスを通して、父なる神さまとしっかり結びついていたかを知らされることでした。そこにはパウロが、「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです」(ピリピ3:8)と言った思いを心に留めさせていただいています。私たちはどうでしょうか。
 神の国イスラエルが、バアル神に仕えるアハブ王によって乱れ、神から離れようとする民に、神は干ばつを持ってそれに応えられ、エリヤは、バアル神に仕える預言者850人との対決をアハブ王に迫りました。このバアルの預言者たちとエリヤの対決は壮絶なものでしたが、その結果はエリヤの勝利でした。神はエリヤの祈りに応えて下さいました。「これを見たすべての民はひれ伏し『主こそ神です。主こそ神です』と言った」(列王記上18:39)のでした。しかしそのアハブ王はその舌が渇くまもなく、王妃イザベルにそそのかされてエリヤの命を狙うことでした。
 パウロは「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。『あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。』と書いてあるとおりです。しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ロマ8:35-38)と言いました。私たちはしっかりと、主イエス・キリストを信じる信仰に生き抜くことを通して、最高の喜びの日々を送らせていただくのです。

 



2018/2/11