日野神明キリスト教会

しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。(ヨハネ20:31

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立川バプテスト教会日野神明伝道所

 あなたは、信じて従うお方を、しっかりと確認させていただいていますか。「イエスとは誰」ですか。神の独り子にして、私の罪の贖いのために十字架につかれた救い主なるお方です。何か他人行儀な言い方ではありませんか。それでは信仰の喜びを感じさせていただくことはできません。
 ヨハネは、「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」(ヨハネ1:1-3)といいます。これはイエスについて語った言葉なのです。その「言」は人間となった。そのために、人々は神がどのようなお方であるか目で見ることが(1:14)できると言うのです。
 彼の見方によれば、あのベツレヘムの馬小屋で誕生されたイエスは、バプテスマのヨハネによれば「世の罪を取り除く小羊」です(1:29)。ガリラヤへ行かれる途中にお会いしてフィリポは「モーセが律法に記し、預言者たちも書いているお方」(1:45)と、フィリポに紹介されたナタナエルは、お会いした時「ラビ、あなたは神の子、イスラエルの王です」(1:49)と証言しました。私たちは彼らのイエス告白をしっかりと受け止めさせていただいて、「キリストは人間となり、この地上で私たちと共に生活なさいました。 彼は恵みと真実の方でした」(1:14(リビング訳))と告白することができる感謝を喜びます。
 それだけではありません。ヨハネはイエスが、神の子であることを証明されるためにどんなことをされたかを伝えます。ここには多くのイエスの奇跡が語られています。水をワインに変えられ(2:1-11)、飢えた群衆を養われ(6:1-15)、病人をいやし(5:1-18)、死人をよみがえらされ(11:1-6)、自らを神の子である(14:1-14)と言われました。そこには神がイエスを遣わされた意図、すなわち、すべての人に新しいいのちをもたらされる神の慈しみを、私たちは見せていただくのでした。 私たちは、これらの証言をどのように受け止め、歩ませていただくのでしょうか。私は今日の人々は、自分の人生に思いを持って生きておられるのであろうか、と考えさせられることしばしばです。いのちあるものには必ず終わりがあります。今日の世界は、それを承知で混乱を求め、いのちを得ようとしていますが、それは決して報いられることはありませんと、明言されています(ローマ6:23)。しかし言葉は、「神の賜物は、わたしたちの主イエス・キリストにある永遠の命なのです」と続きます。どこまで私たちは天の父に愛されていることでしょうか。私たちはしっかり聞きとらせていただきます。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)と。

 



2018/1/14