日野神明キリスト教会

渇いている者には、わたしが命の水の泉から価なしに飲ませよう。(黙示録21:6

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立川バプテスト教会日野神明伝道所

 新年明けましておめでとうございます。2018年が主の祝福に満ちた年でありますようにと祈ります。私はこの新しい年を、いただいた力を十分に発揮して、喜びに満ちあふれた一年になりますようにと願っています。
  そのお方は言われます。「わたしは、アルファであり、オメガである。初めであり、終わりである」と。このお方が、私が信じすべてをおゆだねするお方です。「わたしは万物を新しくする」とこのお方は言われました。私はこのお方の言葉をしっかりと聞かせていただいて、この一年の歩みを始めさせていただこうと思っています。
 過ぐる年がどのようであったかを思い起こさせていただくとき、世界は混乱に混乱を重ねた年でした。私は確実に世の終わりの様相を思わせていただいたことでした。
 戦争のうわさは現実味を帯びたものでした。大きな自然災害は私たちに、神さまの怒りを思い起こさせるものでした。しかしイエスは、「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。」(ルカ21:9)と言われました。恐れと恐怖の中にいるであろう私たちを、神さまもしっかりと踏まえておいでになったと思っています。その方が、「渇いている者には、私がいのちの水の泉から価なしに飲ませよう」と言われるのです。本当に私たちは心から平和を渇望しています。新しい年は、平安であることを心から願い祈っています。
 神さまは人々が危機であるときには、必ずその助けの手を差し伸べて下さいました。イスラエルの民が荒野を渡るとき、彼らの願いを聞き、その乾きを癒やされるために、岩を割って水を与えて下さいました(出エジプト17:1-7)。預言者エリヤが疲労困憊し、「主よ、もう十分です。命を取って下さい」と祈ったとき、主は彼に「焼いたパン菓子と水の入った瓶」を備えて下さいました(列王記上19:3-6)。そして今イエスは私たちに、ご自身がいのちの水の源であることを、一人の婦人に井戸の水を汲ませることを通してお示しになりました(ヨハネ4:1-26)。イエスは、「しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネ4:14)と言われるのです。イエスはいのちの水の泉です。
 預言者ヨハネは、そのいのちの水は溢れ出て、私たちを豊かに潤すと言います。信じてイエスのみ言葉に生きて行くのです。その水は価なしに、求めるものすべてに与えられるのです。そして主は、「わたしはその者の神となり、その者はわたしの子となる」と言われます。この一年、私たちは主から豊かに溢れ出るいのちの水をいただいて、いのちあふれた日々を過ごさせていただきます。喜びにあふれた感謝な日々を過ごさせていただきたいと願っています。本当です。主は「価なしに飲ませよう」と言って下さいます。 



2018/1/7