日野神明キリスト教会

神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。 (ヘブライ人への手紙 1:1-2

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立川バプテスト教会日野神明伝道所

 御子イエスの誕生を喜ぶ声は、地に響きわたりました。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」と、天使の賛美の歌声が響きわたりました。このクリスマスの喜びの光景は、私たちの心にしっかり刻みつけられています。この光景が、天の父なる神さまにはどう映っていたのでしょうか。天の父なる神さまの思いは、複雑でした。
 最初の「人」が、神さまとの信頼関係を壊して罪を犯しました。楽園から追放されました。その原因は「人」にありました。けれども神さまは、「良し」として創造された「人」を、それでも愛しておいでになりました。しっかりと守り、その生きるすべを与え続けて下さいました。その思いを神さまは、あらゆる方法、形をもって「人」に伝えてこられましたが、「人」は今日まで、それをしっかりと受け止めることが出来ませんでした。そのきっかけは何度もありましたが、神さまに立ち返るまでは至りませんでした。
 私はある人から「いのちの海からのメッセージ」(福音社刊)という、海底の小さな生きもたちのすてきな写真集をいただきました。一人の人が魅せられた神さまの創造の世界の、すばらしい光景がそこには拡がっていました。彼は真っ赤なトゲトサカの枝の中の、小さなサラサエビの子どもに、一筋の光があたって見えたその光景は、まさしく神さまの創造された世界以外の何ものでもないと告白をされました。それほどに世界は恵みで満ちあふれています。しかし人間はその神さまを見つめ、自分を見つめようとはしませんでした。
 それでも神さまは、人間を、私たちを愛し続けてお出でになりました。そこにクリスマスがあります。私たちには、いや私には、そこまで私を愛し続けて下さる神さまの思いを、私の理解を越えた神さまの行動を、ほんとうに今でも理解できているとは言えません。それでも愛されていることは分かっています。今はその神さまの前に悔い改めて立ち返り、そのみ懐に飛び込ませていただくだけです。あのイエスさまがお話しして下さった放蕩息子の例話そのままです(ルカ15:11-24)。
こんな世界は、私たちの常識の中にはありません。でも現実にそれは存在します。そしてそれが確かなものとなるのは、それを信じるか、信じないかにかかっています。あなたは神の独り子が、私の救いのために来て下さったことを信じていますか。そのためのクリスマスです。



2017/12/24