日野神明キリスト教会

恵み深い主に感謝せよ/慈しみはとこしえに。   (詩篇 107:1

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立川バプテスト教会日野神明伝道所

 「恵み深い主に感謝せよ/慈しみはとこしえに。」詩篇の中でしばしば用いられる讃美の歌声です。どれほど私たちは、神さまの慈しみの中に生かされているか。お互いに心得させていただいています。収穫感謝祭など、この月私たちは様々な機会に、主への感謝を表させていただくことですが、どのようにその心からの思いを表わさせていただいているでしょうか。
 
私は、ダビデの言葉に、心を留めさせていただくのです。ペリシテ軍との戦いにおいて、すべての敵から守ってくださった神さまに、ダビデは、感謝の歌を献げました (サムエル下22:1-51)。陣営に休んでいたダビデが「ベツレヘムの城門の傍らにある、あの井戸の水を飲ませてくれる者があればよいのに」と切望する声に、三人の勇士が、ペリシテの陣を突破して、ダビデのために「あの井戸の水」を汲んできました。ダビデはそれを受け取りましたが、この水を飲むことを望まず、注いで主にささげ祈りました。これこそ、感謝の何たるかを私たちに教えてくれる言葉だと聞くのです。
「『【主】よ。私がこれを飲むなど、絶対にできません。いのちをかけて行った人たちの血ではありませんか。』彼は、それを飲もうとはしなかった。三勇士は、このようなことをしたのである。」と(サムエル下23:17)
イエスさまは,神さまの喜びの知らせ・福音を語って町々を巡られました。重い病のために人々から隔離されていた人たちも、遠くから叫び声を上げて救いを求めました。イエスさまはその声をしっかり聞かれ、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われいやしてくださいました。10人は喜んで祭司のところへ駈けてゆきましたが、一人の男は途中でいやされたのを知って、イエスのところへとって返して、お礼を申し上げました。イエスさまはいやされたのは10人ではなかったか、ほかの9人はどこにいる、と言われました(ルカ17:11-19)  「いかに楽しいことでしょう/主に感謝をささげることは/いと高き神よ、御名をほめ歌い/朝ごとに、あなたの慈しみを/夜ごとに、あなたのまことを述べ伝えることは」(詩篇92:1-2)と旧約の詩人は歌いました。私たちの感謝は神にささげられるものです。感謝はどこから出てくるものでしょうか。決して人から勧められて出てくるものではありません。パウロは言いました「神の創造物はすべて良く、感謝して受けるなら捨てるべきものは何もないのです」(テモテ第一4:4)



2017/11/19