日野神明キリスト教会


ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた。                                               (使徒言行録 17:11

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立川バプテスト教会日野神明伝道所

  ダマスコ途上で復活の主キリストとお会いしたパウロは、自分が迫害してきたナザレ人イエスこそ、神が送ってくださった救い主キリストだと信じたとき彼はいのちをかけて、キリストの福音を伝える人となりました。アンテオケの教会を拠点として、小アジア地方の町々へ福音を伝えて旅を続けました。使徒言行録から、パウロの3回にわたる伝道旅行の記録を、私たちは読ませていただきます。
 パウロはクリスチャン迫害の急先鋒として行動してきました。彼はパリサイ派の厳格な教育を受け、ユダヤ教ラビ・ガマリエルの下で訓育を受けたことによって、律法の義については非常な確信を持った人物でした。そのことの故に彼がキリスト迫害に熱情を燃やしましたが、復活のキリストはその彼をとらえられ贖いの十字架の福音の宣教者とされました。私はそこに主キリストが見抜かれた、パウロのだれにも負けない大切な信仰心があったのだと思っています。それが、パウロが書き残した多くの手紙の中にあふれています。
 第2回の伝道旅行でテサロニケを訪れたとき、多くのギリシャ人やかなりのおもだった婦人たちが信者になったので、それをねたんだユダヤ人たちによってそこで暴動が起こりました。そこでパウロたちはテサロニケを去ってベレヤに来ました(使徒17:1-9)。
ベレヤに到着したパウロとシラスはすぐに、ユダヤ人会堂に入ってイエスさまの福音を語りました。「ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人たちより素直で。非常に熱心にみ言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べて」(使徒17:11)いました。ベレヤの人たちで、パウロがいい加減な人と思っていた人は一人もいませんでした。優秀な律法学者だと理解していた人々だと思っていますが、その彼らが家に帰ってもう一度聖書を開いて読み返したと言うことは一体どうゆうことなのか。聖書は神のことばです。パウロから聞いたメッセージをしっかりと噛みしめ、神さまが何を私に語ってくださっているか、ベレヤの人たちはもう一度反芻していたのだと思っています。そうなんです。主の福音はしっかり反芻をして、肉としなければ、ほんとうに本当に、私はクリスチャンだと表明することはできないのではありませんか。



2017/11/12