日野神明キリスト教会
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あなたがたに言っておく。祈り求めることはすべて、すでに得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。  (マルコ11:24


立川バプテスト教会日野神明伝道所

 

 

 

 イエスさまが祈りについて語られたこの言葉を、どのように聞き、受け止められますか。ほんとうにうれしい言葉ですが、しっかり受け止めておいでですか。私の心はいつも揺れて、自分で手出ししてしまうことしばしばです。それでも信仰者か、と問われています。そう問われても私は、はい、私はイエス・キリストを主と信じています、とお答えします。そんな支離滅裂に等しい私をも、神さまは愛し受け止めて下さるお方です。 祈りは答えられるものです。ただ神だけを頼りにしてジョージ・ミュラーは、イギリスのホルフィールドの町に大きな孤児の家をつくりあげました。ある人が、この町に住んでいました。彼はいつも生ける神に対して疑いが生じてくると、ベッドから起き上がって、アシュリー・ダウンの孤児の家のたくさんの窓に灯がともり、夜空に美しく輝くのを見ることにしていました。そこには必要によってつぎつぎに建て増された、五棟の群れに、二千人の孤児たちが、そこでは神によって養われていたのでした。
 「祈りの答え見ずとも/み言葉信じ待てば/み神は知りてなしたもう/信ぜよみ神を。信ぜよみ神を/われらを守りたもう/信ぜよ、信ぜよ、いと高き神を」
 (新生賛美歌491)と私たちは歌います。これは私たちの信仰です。けれども現実には、答えをいただけない祈りが多くあります。そこで私たちは、なぜ答えられないかと神さまに詰問しますが、神さまは何も答えてはくれません。それで私たちに、神さまへの不信がつのるというのではなく、なぜ答えて下されないのかと言いつのるのでしょう。そのとき私は、イエスさまが言われた言葉を、もう一度、聞き直させていただきました。イエスさまはこう言われたのでした。「祈り求めることはすべて、すでに得られたと信じなさい」と。それがイエスさまの答えでした。
 ヨハネは第一の手紙に「神に願うことは何でもかなえられます。わたしたちが神の掟を守り、御心に適うことを行っているからです」(3:22)とあります。私たちは本当に大切なことを忘れてはいないでしょうか。み言葉にしっかり生きて主の掟を守ることです。愛を全うするならば、困難はかならず克服することができます。

2017/9/24