日野神明キリスト教会

何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。                                   (ヨハネ 14:14

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立川バプテスト教会日野神明伝道所

 

 イエスは「わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう」(ヨハネ14:13-14)と言われます。私はこのイエスの言葉に、ほんとうに大きな励ましと力をいただきました。と同時に私は、いかに聖書のみ言葉を聞き取るか、と言う大切なことをも学ばさせていただきました。抜き出したイエスのみ言葉の、背後にある思いをしっかり聞き逃してはならないと言うことです。これは、しばしば私たちが犯す過ちへの忠告でもあろうかと、聞かせていただいています。
 イエスが、ご自身の死の予告をされた言葉に、弟子たちが動揺するのを見越してイエスは、「心を騒がせるな、神を信じなさい。わたしの父の家には住むところがたくさんある」(ヨハネ14:1-2)と言われました。イエスの死は、イエスが父のもとへ帰えられることです。それは人々が神のみもとへ行けるように、イエスが道を備えて下さることでした。去られることは落胆することではなく、それはまさに、神と共なる場所を用意するためであり、信じる者たちを再び迎えるためなのであると言われました。
 そのためにイエスがどのように苦闘されたか、を、私たちは忘れてはいません。その十字架上でイエスは「完了した」と叫ばれ、息を引き取られました。私たちはしっかりとその言葉を受け止めさせていただくのです。私たちの罪は、イエスの十字架によって贖われました。主イエスを贖い主として信じて受け入れる者は、「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は・・神によって生まれたのである」(ヨハネ1:12-13)と言われました。イエスを「主」と信じて受け入れる、そこからこのイエスの約束は始まるのです。
 イエスは「わたしの名によって」と言われます。心から神に従い、神の御心を行うことを求めるなら、私たちの願いは神が望んでおられることに一致し、神はそれをかなえて下さるのです。すべての祈りは、これをイエスの名において祈ることが出来るものであるか、が問われるのです。心からイエスの名において祈る祈りか、自分の利己的な願望や目的や野心であるかをたずねなければならないのでしょう。そして終わりに、あなたのみ旨がなされますようにいう祈りは常に答えられます。



2017/8/20