日野神明キリスト教会

目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。私の助けは来る。天地を造られた主のもとから。                     (詩篇 121:1-2

本文へジャンプ

立川バプテスト教会日野神明伝道所

 

私たちは神が造られたこの世界を、ほんとうに喜びをもって感謝して受け入れる者です。「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。」(詩篇19:1-2)との詩篇の言葉は私の好きな聖句です。神さまはそのご栄光を、その造られたものすべてを通して、私たちに示して下さいます。その喜びの中で、自然災害に見舞われて、悲しみに打ちひしがれるとき、神さまの御心がどこにあるのだろうかと、思い巡らされるのは自然でしょう。
 「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」(創世記1:31)との言葉を、私は受け入れています。ほんとうに神さまがなさることを理解することはむつかしいです。人間はその与えられた知恵の限りをつくして天地創造のメカニズムを極めようとしていますが、神の創造の出来事を極めることなどできようはずもありません。それよりも神さまがこの造られた世界に対して、私たちに託された務めをしっかりと果たすことが出来てきたのだろうか、と問われなければならないのではありませんか。
 最近ひんばんに起こる自然災害の痛ましい現実に、心を痛めて、慰めと励ましが豊かであるようにと心から祈らさせられています。何が出来るかを模索させられていながら、弱さを痛感しています。そこが、私たちの働くべき場所ですが、同時に私はそのような悲しみがなくなることもまた、私たちのなすべき大切な努めだと思っています。イザヤは「それで、あなたがたは神をだれとくらべ、どんな像と比較しようとするのか。」(イザヤ40:18)といいました。しっかり創造の主である神を見つめさせていただくことが大事です。そして神さまが私たちを創造してくださった、神さまの思いをしっかりと受け止めなければなりません。神さまは「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」(創世記1:26)と言われたのでした。私はこの言葉に、神さまは被造物すべての管理を、人間に託されたのだと理解させていただいています。人間は神さまの思いではなく、人間の思いで、人間の欲求を満たすための行動に走り、神さまが創造された世界を破壊してきたのではありませんか。そこから悲劇が起こり始めたのではありませんか。旧約の詩人は「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ」といいました。そこから自分をしっかり見つめさせられ、大切なものを見いださせていただくのです。



2017/7/16