日野神明キリスト教会

 〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。               (ルカ 23:34

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立川バプテスト教会日野神明伝道所

 イエスが語られた言葉のひとつ一つが、私たちの人生の方向を導いてきました。私たちは「聖書の中のいちばん大切な箇所」(十戒・主の祈り・使徒信条)を通して私たちの歩むべき道を示されてきました。私たちが、神さまの言葉にいかに応えて生きるか、「主の祈り」は私たちの応答です。そこでイエスは「わたしたちの負い目を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/赦しましたように」(マタイ6:11) と祈れと教えられました。何を私たちはそこに聞くのですか。これがクリスチャン生活の一歩だと私は聞かせていただくのです。
 イエスが十字架上で、どれほどの苦悩と苦痛を味わっておいでになったか。その苦痛の中でイエスは、ご自分からはぎ取った衣を、くじ引きしている兵士たちを見て「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と言われました。イエスが発せられた言葉を聞き、私は何のためにイエスが十字架にかかられたかを、こうして私が今あるかを、理解させていただくのではありませんか。                   
 ペトロがイエスに「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」と言うと、イエスは「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」(マタイ18:16)と言われました。実に無理難題を言われるイエスだと思わされるでしょう。けれども主イエスはそのように生きておいでになりました。私たちは、ほんとうにみ言葉に従い得ずに苦悩するのみです。ひたすら主に憐れみを求めて祈らさせていただくだけです。
 これが、イエスが最初に私たちに求められた行動だと理解させていただく時、イエスが様々な言葉で弟子たる道を語られますが、イエスの求めは一つだと言うことに気づかさせられます。「わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」(ヨハネ13:34-35)と。
 徹底してみ言葉に仕えていくことです。キリストの弟子はひたすら赦されることを求めて生きることです。それは後退の道だと言われるなら、それは違います。それがイエスの十字架の道です。それは栄光への道であったことをご存じでしょう。私たちは主がほめたたえられるためにだけ生きるのです。



2017/7/9