日野神明キリスト教会

人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。                                      (ロマ 8:27

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立川バプテスト教会日野神明伝道所

 ペンテコステ(五旬節)は、「聖霊降臨祭」です。降誕祭、復活祭を経て、私たちと共にいてくださる主を体感させていただく、聖霊降臨祭です。私はこの教会の暦は私たちの信仰生活にとって大切な要素を持っていると思っています。
 日本には、正月になると「伊勢暦」などの暦の冊子が書店に並びます。生活に密接した時の判断を教えてくれます。正確さは今日の科学的な検討を加えられた情報に劣ることは言うまでもありませんが、今日でも二十四節気などが生きていることに教えられています。

 聖霊降臨祭後の日曜日は三位一体主日と呼ばれます。私は勝手に私たちの信仰生活の区切りを迎えて、ここからは父、子、聖霊の父なる神と共に、私たちの主にある教会生活が始まると思っています。イエスは「わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。」
(ヨハネ14:16-17)と言われました。そしてイエスはその約束を果たしたして下さいました。いま私たちは聖霊のとりなしの中にいます。聖霊を受けた使徒たちの周りには、日々加えられる仲間がありました。何かがそこに起こっていました。
 それは使徒たちの生活です。「一同はひたすら、使徒たちの教えを守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈りをしていた」
(使徒2:42)とあります。パウロは「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない」(ガラテヤ5:22-23)と言いました。その使徒たちの生き様が、アンテオケの町の人たちが、彼らを「クリスチャン」と呼ぶようになったのです。私は聖霊降臨祭の後の、私たちの信仰生活が問われている考えています。私たちには聖霊様がついていて下さるのです。しっかりと聖霊の実を結び、神の平安をもたらす者となりたいです。



2017/6/11