日野神明キリスト教会
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立川バプテスト教会日野神明伝道所

イエスは言われた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは、イエスの答えに驚き入った(マルコ12:17

 今日、私たちにとって、この世の権威とどのように向きあっているか、信仰者として問いかけられていることです。私はこの問題は、信仰者としてしっかり向きあう必要はあると思っていますが、実は日本バプテスト連盟理事会が、政界で何かことが起こるたびに、すかさず声明文を発して、私たちに奮起を促すことに、私は少し違和感を覚えています。 
 私たちはキリスト者として、この世に生きている者です。国籍は天にあり、と言うも、日本国民として生かされているのです。そこで生じる責任については自分でしっかりと表明しなければならないことは言うまでもありません。そのために私たちはみ言葉に聞くのです。

 イエスを陥れようとして、イエスを問い詰めるユダヤ人に対して、イエスは先手を打つような形で、「デナリオン銀貨を持ってきて見せなさい」と言われました。そして「これは、だれの肖像と銘か」と問われたのです。この「間」は大事なのです。私たちはこの世にあって、キリストの十字架の福音をしっかり証しして、伝えるそこに責任があるのです。この世は神に属するものでないことは承知しています。

 私はパウロが言うように「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです」
(ロマ13:1)との言葉を受け入れます。しかしパウロの時代は悪名高いローマ皇帝によって、どれほどひどい仕打ちを受けてきたかも私たちは知っています。そのような中でのこのパウロの言葉です。そこにはパウロの、信仰の確信による決断があります。ペテロは福音を語ったために尋問を受けたときに「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」(使徒5:29)と答えました。私たちはどのようなときも、神のみ心をしっかり見つめさせていただくことが大事なのです。すべては神のお計らいの中でことは動いています。私たちが生かされている世界にあって、どこに目は注がれていますか。私たちはイエスの十字架の愛をどのような尺度として、「上に立ち権威」と向きあっていますか。



2017/5/28