母の日は、アメリカの一少女・アンナの母を想う思いに、人々が共鳴して起こったすてきな運動です。アンナは母親の仕事の大切さ伝える母の姿と、毎日曜日の教会学校で神さまのみ言葉を子どもたちに教えている姿をしっかり見てきました。その母の死後、アンナはこの母を偲ぶ記念会を、母が仕えていた教会でしました。アンナの母親への想いに感動した人たちによって、この運動は今日では世界の人たちが心に留めるものとなりました。
 私は「母の日」になると、必ず思い起こさせていただくお話しがあります。救世軍大将・山室軍平の「母の愛」という有名な説教です。山室軍平は岡山の山村農家の八人兄弟の末っ子として生まれました。生まれたときから虚弱体質であった軍平を、母ともは不憫に思い、どの神さまと言うこともなく神さまに「どうか無事に育つように、こんな山の中だから、偉くなるのは無理でも、世の中のために役に立つ人になれるように」と祈り続けたと言います。そして、その真心を表すために「私は、一生卵を食べません」と誓いました。当時その地方では一番の滋養物である卵を食べないことを誓い、その誓いを生涯71歳で亡くなるまで守り通して、末っ子の無事な成長を祈ってきました。山室軍平の献身的に人を思いやり、先駆的な社会福祉活動に邁進したその原点にあったのは、この「母の愛」に象徴される神の愛であり、彼の生涯を貫いたのは、貧しき者、小さき者への愛でした。
 サムエルの母ハンナも、主に子が授けられることを切に願い祈りました。そして授けられた子は、主に献げますと祈りました。私はいつもこのハンナの祈りの不思議さを思っています。世界中どこにあっても、我が子としての豊かな成長を願わない親は一人もおりません。ハンナの祈りは少し違いませんか。そこには私たちの神との関係の確かさを、私たちは問われるのだと思っています。私の子といえども、神がいのちを与えられた、大切な神の子どもです。その子どもの成長のために私たちはすべてを尽くすのです。それが、私たちが生かされている務めではありませんか。そして私たちは造られた、すべてのものの平安のために私たちは生きるのです。

2017/5/14

 

日野神明キリスト教会
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立川バプテスト教会日野神明伝道所

ハンナは悩み嘆いて主に祈り、激しく泣いた。そして、誓いを立てて言った。「万軍の主よ、はしための苦しみを御覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主におささげし、その子の頭には決してかみそりを当てません。」  (サムエル上 1:10-11