日野神明キリスト教会
本文へジャンプ

立川バプテスト教会日野神明伝道所

新しい歌を主に向かって歌え。主は驚くべき御業を成し遂げられた。                                  (詩篇 98:1

 いのちにあふれた季節を迎えました。教会の桜の木、藤棚は、昨年秋にきれいに枝が切り払われて、枯れ木同然でした。春を迎えてもその様子に変化はなく、今年は寂しい春を迎えるのかと思っていました。ところが、主のご復活を喜ぶイースターを迎えるころから、藤棚にはきれいに藤の花が垂れ下がり、桜の木に花芽がつき、小枝がないので幹枝に花がつくとういう不思議な、けれどもいのちあふれ光景を目にすることとなりました。
 神様がなさることは、ほんとうにすばらしい。心から御名をほめたたえさせていただくだけです。
 バビロン捕囚からエルサレムに帰ってきた民の喜びがいかに大きなものであったか、想像できますか。夢に見てきた故郷への帰還に、私たちが思う以上の喜びをもって、この歌を歌ったのです。確かに彼らが目にしたエルサレムの神殿は、廃墟に近いものであったでしょうが、帰還を成し遂げて下さった神の慈しみを思えば、何するものでもありませんでした。そこにある「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。歓声をあげ、喜び歌い、ほめ歌え」とは、まさしく彼らの心からの思いでした。「地の果てまですべての人は、わたしたちの神の救いの御業を見た」と歌います。
 この彼らの喜びの歌こそが、私はこの混迷した時代に生きている私たちへの応援の歌だと聞かせていただくのです。今私たちの周りを飛び交ううわさは、世の終わりを思わせる言葉で満ちています。あなたは今どのように生きておられますか。「主は来られる。地を裁くために。主は世界を正しく裁き、諸国の民を公平に裁かれる」と歌われます。
 バビロン捕囚から帰国したイスラエルの民が、どのように困難を克服して、新しい主の神殿を再建したか。その喜びの歌を私たちは聞くのです。私たちには主キリストがおられます。主キリストは私たちの罪の贖いのために十字架に死なれ、墓より三日目に復活されました。この主の慈しみは地に満ちています。私たちは今こそ、この大いなる神の救いを伝えることなくして、私たちが生かされている意味を見いだすことは出来ないのではありませんか。主なる神は救いをなして下さるお方であることを歌い上げることです。

2017/5/7