日野神明キリスト教会
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立川バプテスト教会日野神明伝道所

わたしは福音を恥としない。     (ロマ1:16

ローマの信徒への手紙は、パウロの自己紹介です。会いたい会いたいと願いながら、まだ実現できていないローマ教会の人たちに、自己紹介をかねて、パウロはキリスト信仰の何たるかを書きました。イエスが神からのすばらしい知らせを語られ、十字架にかかってその完成を遂げられ、神はそのキリストの復活をもって私たちといつも共にいて下さることを宣言されました。この喜びの知らせ福音を、系統的にまとめ確立させたのがパウロと言えます。パウロはこの信仰の重要なことを、この手紙の冒頭で簡潔にまとめました。
 「神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロ」と自己紹介しました。イエスは「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」(ヨハネ15:16)と言われました。これは私たちの信仰にとって大変重要なことです。私たちは何事においても、自分の判断で事を進めてきたと思っていますが、神はそれは違うと言われるのです。パウロはクリスチャン迫害の急先鋒でした。その行動のさなかで復活のイエスと出会い、イエスを「主」と告白をしました(使徒9:1-18)。それは驚くべき出来事でした。パウロは自分がクリスチャンになったのは「人からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、イエス・キリストを死者の中から復活させた父である神によって」(ガラテヤ1:1)といいます。これは私たちの信仰の大切な原点と私は心得ています。
 だからパウロは自分のことを「キリスト・イエスの僕」と呼びました。「僕」という言葉は現代では死語といえます。「召使い・使用人」ではあまりにも軽すぎる本来の言葉は「奴隷」です。私たちは徹底してイエス・キリストに仕えて行くのです。イエスは私たちを「もはや、わたしはあなた方を僕とは呼ばない。わたしはあなた方を友と呼ぶ」(ヨハネ15:15)と言われましたが、パウロがあえて自分を「僕」と呼ぶその思いを、私たちはしっかりと受け止めさせていただくのです。
 だからたとえ人々が十字架の死刑囚であるイエスと、あざけりののしろうとも驚きはありません。そこに私たちは神の大いなる愛を見るからです。この「福音には、神の義が啓示されています、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです」(ロマ1:17)といいます。その大切な中身をじっくりとローマの信徒への手紙を通読することで味あわせていただきます。

2017/4/30