日野神明キリスト教会
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立川バプテスト教会日野神明伝道所

使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。                         (使徒言行録 2:11

 過越の祭を終えた週の初めの日の朝、エルサレムの町に衝撃が走りました。十字架刑で処刑されたイエスの遺体が墓の中にはない、と言う事件です。朝早く葬られたイエスの遺体を清めたいと、墓を訪れた女たちが、その墓の中にイエスの遺体を発見できず、そればかりか復活されたイエスに会って、言葉をかけられたと言う知らせが、弟子たちにもたらされました。しかし弟子たちはこの話を「たわ言」と思って信じませんでした。
 エルサレムの当局は、以前からのイエスは復活されるとのうわさに、墓に番人を置いて遺体が盗まれないようにと手配をしましたが、それは徒労に帰してイエスはみ使いの手によって墓からお出になりました。その知らせに祭司長ら長老たちは慌てて、イエスの死体を弟子たちが盗んだと、言いふらさせました。
 確かにイエスは十字架上で息を引き取られました。弟子たちは、アリマタヤのヨセフが提供してくれた墓に、痛みと悲しみを覚えながらその遺体を葬りました。しかし週の初めの日の朝、日曜日の朝、その墓は空っぽでした。何が起こったのですか。その時のイエスの行動についてパウロは「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。」(コリント一15;3-8)と証言をするのです。まことに主イエスは復活なされたと言うことです。
 にわかには信じがたい出来事です。始めにこのニュースを聞いた弟子たちはこれを「たわ言」だと思って信じませんでした。しかしこれは真実でした。エマオ途上で復活のイエスにお会いした弟子は「二人は、『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った。」(ルカ24:32)と証言しています。今あなたが、イエスのみ言葉をしっかりと心に聴き、神の慈しみを受け止めるとき、あなたの心は熱くなるはずです。そして主に生きたいとの熱望が湧いてくるはずです。それは復活の主が共に生きていてくださることの証しにほかなりません。私には「墓にイエスはおられなかった」それで十分です。神の約束は確かです。復活され、天に上げられたイエスは、聖霊として今、しっかり私たちと共に生きていてくださいます。