日野神明キリスト教会
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立川バプテスト教会日野神明伝道所

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 (コリント第二5:17)

 私たちが忘れようとして忘れること出来ない聖句の一節ではありませんか。イエス・キリストの十字架の贖いによって、新生した私たちです。私たちはどのように新生者としての日々を過ごしていますか。大変大事なことです。
 ご存じだと思いますが、「将棋の「歩」は、駒のなかで一番のろまで一番力の弱いものです。したがって、駒のなかで一番はじめに相手に取られてしまいます。捨て駒のような役目を負っています。けれども、ひとたび相手の陣地に入って裏返しになると、こんどは「王」につぐすばらしい働きができる「金」に変身するのです。そして、その力と行動によって、大活躍するようになる。」のです。
 キリストとともに死んで、キリストとともに復活させていただいた私たちももはや無敵なのです。キリストにあって、そのことが私たちのうちに起こるのです。どんなに大きな喜びでしょうか。いつも私はそのことを思い巡らさせていただきながら弱さを思っています。そこに何があるのだろうか。思い当たることはひとつ、まだ自分に死んでいない自分がそこにあると言うことでした。
 これは大変なことです。キリストが十字架にかかって、私のために死んで下さったそのことを、しっかり受け止めなければ私にいのちはないのです。「新しくされた」この私と、いつも寄り添っていて下さる主イエスを、しっかり感じて生きるのでなければならないのです。それはしっかりみ言葉を聞き、祈ること以外にはありません。
 パウロは「というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです」(コリント第一5:14)と言いました。日々の生活の中で、私たちはどれほど、神の大きな愛の中に生かされていることか。いや毎日、苦悩の連続で平安など感じられないと言われるのかも知れません。しかし私は生かされていることこそが大事だと思っています。特に、キリストにあって新しく造られた私たち、キリストの愛に取り囲まれて、しっかり生かされていることを感じる時、私たちには勇気がわき上がってくるのではありませんか。

2017/4/2