日野神明キリスト教会

 キリストの十字架の贖いによって救われた私たちは、どんな毎日を過ごしていますか。普通の皆さんと変ることがない生活をしているとするなら、気をつけなければなりません。私たちは救われた者、新しくされた者です。その自覚はしっかり持たなければならないのです。
 それはその実によって知ることができます。パウロは「わたしが言いたいのは、こうゆうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させることはありません」といいました。そして肉の欲望に満たされた浅ましい光景を(エペソ5:19-21)パウロは語ります。説明を受けなくてもそれらが私たちに喜びをもたらすものでないことは分かることです。今日、世界が混乱している要因のほとんどがそこにあると言って過言ではありません。
 私たちはどうしてこんな世界になったと思いますか。それは現状を見れば、なっとくすることです。平和、平和と叫んでおられる方々のうちに、本当に平和を望んでおられるのかと思うことがあります。だって自分の主張は声をからして叫ばれるが、相手の主張に耳を傾けると言うことは、ほとんど無に等しい光景を何度も見させられてきました。これが世界の為政者がしてきたことです。耳を傾ても、自分の主張を述べられるだけで、主張のすりあわせはまずありません。その自己主張のし合いに終始して、とても和解の道など望むべくもありません。聖書はそれを肉の欲望というのでしょう。クリスチャンがそれをしていては、新しく生まれた人とはとうてい宣言することはできません。
 イエスはこう言われました。「だから、人にしてもらいたいと思うことは、あなたがたも人にしなさい」(マタイ7:12)と。皆さんの心にしっかりと刻みつけられているイエスの言葉ではありませんか。パウロは「霊の導きに従って歩みなさい」と言います。イエスのみ言葉に従って、イエスの新しい戒め(ヨハネ13:34-35)を守る日々を過ごすなら、そこで結ばれる実は明らかでしょう。「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」とパウロが指摘するとおりです。これがクリスチャンが結ぶ実です。

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立川バプテスト教会日野神明伝道所

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。    (ガラテヤ5:22−13)