この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。 (ロマ 8:16)
私たちが救われたのは「事実、あなた方は、恵みにより、信仰によって救われました」(エペソ2:8)との言葉を、私たちはしっかりと受け止めている者です。パウロは「キリスト・イエスによって命をもたらず霊の法則が、罪と死の法則からあなたを解放した」(ロマ8:2)と言います。イエス・キリストの十字架の死によって私たちの罪が贖われました。キリスト教会の暦では、この3月1日は灰の水曜日。この日から受難節に入りました。私たちはしっかりと、イエスのご生涯をたどりながら私たちはキリストの救いを喜びたいのです。
パウロは「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(ピリピ2:6-8)といいましたが、私たちはほんとうにキリストをどなたと理解しているか。頭で、心で理解していると言うことではなく、生きる中で、キリストがどのように受け止められているかをいつも思っています。
英国のバプテスト派の大説教家スポルジョンの詩です。
ルュート(弦楽器)を弾く手
フルートを吹く息
子どもにとっての母親
道なき荒野にあってのガイド
波さわぐ水面にある油
奴隷にとっての身の代金
蜜蜂にとっての花
イエス・キリストは私たちにとって、このようなお方です
私たちは、いつも側にいて下さるイエス様を、どれほど感じていますか。み霊によって生きる生活とは、キリスト中心の生活、「神の霊に導かれる者は皆、神の子」なのです。人がキリスト者になったとき、私たちは神の家族になったのです。それはただ神のあわれみによるのです。
立川バプテスト教会日野神明伝道所