日野神明キリスト教会

 救いはどこにあるか。イエス・キリスト以外にはありません。
 昔、中国で儒教の教師がクリスチャンになった時、弟子たちはそれを聞いて怒って、「先生は、日頃から軽はずみな行動をいましめておられたのに、宣教師の説教を一度聞いただけでイエスとやらを信じてキリスト教徒になるなんて。」と責めた。教師は「まあ、私の話を聞いてくれ。私は野原を歩いて草むらにかくれていた古井戸に落ちてしまった。『たすけてくれ!』と叫んでいると、孔子が通りかかってのぞいてくれた。『あれまあ、おまえは何でこんな所に。人の通る道を歩かないでこんなところを通るから、ひどい目にあうんだよ。』と説教をしただけで孔子は去っていったのだよ。言われなくて十分反省しているんだ。しばらくするとまた声がしたので見上げると、お釈迦さまがのぞいていた。『なんと気のどくに。何事にも気をつけなければいけないよ。ほれ、手をのばしてごらん』とお釈迦さまのほうからも手をのばしてくださったが、どうしてもとどかない。『ああ、おまえはなんと業が深いんだろう。前世の因縁じゃ、もうあきらめなさい』と言うと私をそこに残したまま去って行ったのだ。そんなこと言われても、私はあきらめない。なおも助けを求めて叫んでいると、こんどはイエス・キリストがきてくれた。ああ、選りに選っていやな奴がきたもんだと思ったが、他にすがるものもいないので、しかたなく手をのばした。イエスはなんの説教もしないで、手をさしだしてくれたね。だが、やはり届かないんだ。今度もダメかと絶望しかがみこんでいると、イエスが井戸のなかへ飛び降りてきた。『ほら、私の肩に足をかけなさい』 私を肩に乗せてもち上げて、井戸の外へだしてくださったのだ。『もう二度と、ここにくるんじゃないよ。私のことはかまわないで、さあ、行きなさい』だから、私はイエスを救い主と信じてクリスチャンになったんだ」と語った。
 私はいつもこの逸話を思い出しながら、イエスの「良きサマリヤ人」の話を思い出していますが、救いにはその先があります。「あなたも行って同じようにしなさい」と言われるのです。このヨハネの手紙の言葉をしっかりと聞き取らなければならないでしょう。


2017/2/26

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立川バプテスト教会日野神明伝道所

イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。                          (一ヨハネ 3:16)