あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。     (ヨハネ5:39)

 

 

日野神明キリスト教会
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立川バプテスト教会日野神明伝道所

 私たちの人生の最大の問題を解くカギは、み言葉をいかに生きるかと言うことです。聖書のみ言葉はただ、聞き噛みしめるものではなく生活するものだと心得ています。
 「あなた方に新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」とのみ言葉は、しっかり心に刻みつけられている言葉でしょう。イエスはこの言葉を通して、何を伝えられたかったのでしょうか。最後の晩餐の席で、ユダが席を立ってから弟子たちに語られた言葉です。そしてイエスは「それによってあなた方がわたしの子であることを、皆が知るようになる」と話を結ばれました。

 初代教会の人たちがどのように、使徒の教えに生きてきたか。彼らの信仰の源流を私は、ペンテコステの日のペテロの説教(使徒
2:14-36)に聞いています。この説教を聞いた「人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、『兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか』と言った。」とあります。イエスの生き様に、教えの言葉ではない言葉を聞いたのです。神様の慈しみをしっかりと聞き取った人々は、いのちをかけてイエスの言葉に生きました。
 二十六聖人の話はご存じでしょう。大阪から歩いて長崎まで連れてこられ十字架で処刑されたキリシタンたちです。その中に12歳の少年がいるのを見て 憐れに覚えた一人の武士が、「信仰を捨てればお前のいのちを救ってやる」と言ったのに、少年は「つかの間のいのちと永遠のいのちを取り替えることは出来ない」と、毅然とその申し出を断ったと言うのです。イエスが言われるように、そこに私は、イエスの証しを見させていただくのです。私たちは、しっかりみ言葉に生きることなくしては、クリスチャンとは言えません。この一年、私たちはどのように、このみ言葉に生きてきたかを省みたいです。イエスはヨハネのことを気にするペテロに「わたしのくるときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたはわたしに従いなさい」
(ヨハネ21:22)と言われた言葉が心に残ります。

2017/2/12