あなたはいくつの聖句を覚えておられますか。パウロは「教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守っていなければなりません。」と言います。「み言葉はわが足の灯火、我が道の光」です。聖書のみ言葉が、どれほど私たちの生活に密着しているか。米国大統領が聖書に手を置いて宣誓をする光景を見ながら考えさせられたことでした。
 英国では国王戴冠式で、国王陛下に聖書を捧げる儀式があるそうです。祭壇の上に前もって備えられた聖書を、カンタベリー大司教はこれを受けて恭しく王に献げて言います。「仁慈なる王、我らはこの書を陛下に捧げます。これはこの世のもののうちで最も貴いものです。すなわち生ける神のことばです。これには神の英智が秘められており、王の律法であります」と。この儀式に英国民の精神生活をしめる聖書の権威が象徴されていると言えます。
 私たちに、この主のみ言葉が、しっかりと生かされている限り、いかなる天の諸悪の霊に戦いを挑まれようとも、びくともするものではありません。しかし現実は、そこに大きなほころびがあるのを見ています。そのほころびを繕わない限り世界は確実に滅びます。しかしその修復の困難さは、並大抵のものでないことを私たちは承知していますし、この小さな私にどれほどの力があろうか、と思うことです。しかしイエスは「人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない」(マタイ19:26)と言われます。
 私たちはしっかりと信仰者であることを肝に銘ずべきです。聖書を手元に置き、み言葉をしっかり心に蓄えて生活をするのです。WWJD(イエス様ならどうされる)と生きることです。私はその基本を、イエスの十字架に見させていただくのです。レイ・アンダーソンは「愛なしに同情することも、愛なしに親切にすることも可能です。しかし、愛を身につけた者が、不親切であったり、同情心がなかったりすることはありえません。愛はたんなる装身具ではないからです。愛はすべてのものを織り込んだ完全な衣装です。愛は生きかた全体なのです」と言いました。すべてのクリスチャンがみ言葉を旨として生きるなら、すべては変えられます。

2017/1/29

 

 

日野神明キリスト教会

教えに適う信頼すべき言葉をしっかり守る人でなければなりません。そうでないと、健全な教えに従って勧めたり、反対者の主張を論破したりすることもできないでしょう。              (テトス1:9)

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