日野神明キリスト教会
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立川バプテスト教会日野神明伝道所

イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。                  (一ヨハネ 3:16

 私はクリスチャンとしての最高の生き方は、イエスに倣って生きることだと思っています。若い頃私は、真偽は別として、キリシタンが最も大切な聖書のみ言葉は「ヨハネさんの16」だと伝えてきたと、聞かせていただいたことがあります。その聖句が何かはお分かりでしょう。そして私はその関連から3の16がらみでこの聖句を、聞かせていただく最高のみ言葉と心得ています。
 私は、イエスのみ言葉に忠実に生きようとするとき、イエスは、求められることに、弁明をされたことがあっただろうか、と考えたことがあります。確かに山上の説教の中で、「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。・」(マタイ5:21-48)と言われた言葉は聞きますが、それらはご存じのように弁明ではありません。でも私たちは「しかし」とか「けれども」とかの言葉を用いて、出来ない自分を弁明していることはないだろうか。であるとするなら、キリストに忠実なクリスチャンとは言い得ないのではないでしょうか。
 あるとき一人の姉妹から「イエスが、赦すことは何回、と言われた箇所はどこだったけ」と尋ねられたことがありました。イエスは「七の七十倍までも赦しなさい」(マタイ18:21-31)といわれました。これはその姉妹が、自分への戒めとして聞かれたことを思いましたが、今日のほんとうに殺伐とした時代を生きる私たちへの提言だと聞かせていただいたことでした。
 私たちは、真実に愛すると言うことがどのようなことか、イエスに教えていただきました。それが一ヨハネ3:16です。この言葉は「汝の敵を愛せよ」との言葉を超えます。これは言葉として理解すると言うことではなく、生活化が求められているのです。私にはとても、との言葉しか出ません。がそこから私はしっかりと、主イエスを見上げさせていただくのでした。それがこの時代に生きる私たちであろうと思っています。


2017/1/15