クリスチャンの最高の喜びは、豊かな収穫の刈り入れでしょう。それは一人でも救われる人が与えられることです。それはまた神の心からの願いです。それに答えるのがクリスチャンの生きる道です。また、喜びだと思っています。
  イエスの言葉はじつに不思議です。刈り入れの時が来ていると言われるのです。けれどもそれは、彼らが種まきしたものではありません。しかし、刈り入れ人とされるのです。
  あなたは、種まく人、それとも刈り入れる人、どちらですか。収穫を喜ぶ人でありたいと、思われのではありませんか。「宗教消滅」(島田裕巳著)という書物があります。日本の社会において新宗教が衰退していると言われる。といわれても多くの人には何も感じられないかも知れませんが。そこには日本の社会の変容が大きく影響しており、この問題は新宗教だけではなく、仏教だろうと神道だろうと、やはり衰退の兆しが見えています。キリスト教会もその流れに漏れるものではありません。そのような時代に生きている私たちに、イエスが「目を上げて畑を見なさい。はや色づいて刈り入れを待っている」と言われる言葉を、どのように聞くのでしょうか。
 私には、人々の心が何かを求めているのか。本物を探し求めて、探しあぐねている状態をそこに見せられている気がしています。世界自身が変容しようとしている現実の中で、社会の仕組みも大きく変容しようとしているこの時を、「刈り入れ時がくるまでには、まだ四ヶ月あると、言っている」と言われるイエスの言葉に、お前は何をしているのだという、叱咤の言葉として聞かせていただかずにはおれないのです。   私たちは今日を、千載一遇のチャンスとして、福音宣教に打って出るのです。キリストの福音にはその力があります。キリストの十字架の出来事は、しっかりと何が今日の時代を生きる力となるかを語ってくれるのです。イエスは弟子としてどのように生きよと教えて下さったか思い出します。そして今こそキリストの倣って生きるのです。
日野神明キリスト教会
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立川バプテスト教会日野神明伝道所

あなたがたは、刈入れ時が来るまでには、まだ四か月あると、言っているではないかしかし、わたしはあなたがたに言う。目をあげて畑を見なさい。はや色づいて刈入れを待っている。          (ヨハネ 4:35-36

                  2017/1/8